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京都の話

京都の話 〜 京都にまつわる話を徒然に綴るコーナー 〜

Interesting story concerning Kyoto
法力

 おいでやす。
 ようこそ「京都の話」へご来場くださいました。 今日の話は「法力」と題しまして、京都に伝わるマイナーな話をご紹介します。

 前回の「ミステリー案内」に引き続き、京都に伝わる不思議な話です。 今回の主人公は「陰陽師」。 “いんようし”ではありません(わかっとるわ)。 陰陽師にまつわる話には、よく「一条戻り橋」という橋が出てきます。 ここには有名な陰陽師2人が関わっているからでしょうね。

 さて、現在の京都市街には有名な自然・人口の川がいくつか流れています。
 白川砂で有名な白川。 嵯峨・嵐山から西京極へ流れる桂川。 この川は上流方面では「保津川」と呼ばれています。 保津川急流下りの保津川です。 嵐山付近でだけ「大井川」と呼ばれていますので、かの「渡月橋」は大井川にかかる橋という事になります。 それから街の中心を流れる、最も有名な川、鴨川。 人工川で有名な三十石舟の高瀬川、滋賀県は琵琶湖から用水を運ぶ琵琶湖疎水。

 そして、堀川。 ほとんど暗渠となっていて平安時代の姿は見る影もないとのことですが、今も小さな流れを少しだけ見ることができます。
 一条戻り橋は堀川に掛かる橋で、京都を南北に流れる堀川に、東西に走る通り「一条通」が当たる場所に設けられています。 ちょっと脱線ですが橋のお話の前に、私の好きな読み物の話を一つ。(脱線は「京都の話」には憑物です! え?)

 皆様は「陰陽師」をお読みになりましたか? 作家「夢枕 獏」氏の小説で、平安時代、村上天皇の頃の「陰陽師・安倍晴明」を主人公とした物語です。 無二の友「笛の名手・源博雅」と共に陰陽の術でさまざまな「妖物」や「呪い」を退治する、ちょっと物悲しく、「人の性」を考えさせられるような物語になっています。

 2001年・2003年に狂言師・野村萬斎氏主演の映画が公開されると歴史フィクションに興味の無い人たちまで騒ぎ出し(野村萬斎氏は1997年に某私腹肥やし国営放送の朝連ドラ「あぐり」エイスケ役を好演したばかりだった)、果てはドキュメンタリー(もどき)番組で陰陽師がお祓いをするほどのブームに。

 その影響で、京都にある「晴明神社」さんが一躍脚光を浴び、訪れる人が絶えないとか。 安倍晴明をお祭りしておられるの神社なのですが・・・京都以外でも車のお守りに、白い星の形のステッカーを見かけられるかも知れません。 あれは晴明神社のステッカーです。

 この「晴明神社」さん、堀川通りにありまして(やっと堀川にたどり付きました!)堀川通りと今出川通りの交差点から南へ200m程の右手(西側)にあります。 京都流に言えば「堀川の今出川下がって行かはったら、元誓願寺通の信号が見えまっさかい、そこ、西へ入ってスグを下(しも)へ向いとぉくれやす。」てな具合。(「下」は南のこと。 坂道はございません、念のため。)

 ・・・ちょっと待て。 昔はそうだった。
 今は・・・堀川通りに面して駐車場まであるやんけ。 晴明神社さん、夢枕様様、萬斎様様ですな。 よっぽど儲かったようです。(笑

 それはさておき。 晴明神社さんから堀川通りを南へ200m程、左手に「一条戻り橋」があります。
 まぁ遠回りしましたけど、実は安倍晴明も一条戻り橋に縁があるんどすな。 夢枕氏の「陰陽師」にもこんな場面があります。

 ある日、源博雅が安倍晴明の屋敷を訪ねると、既に酒とつまみの用意を済ませた晴明に出迎えられます。 博雅、「何故わかったのだ?」 晴明は「一条戻り橋を渡るときに、『おるかな、晴明』と言うたではないか。」と涼しい顔。
博雅「どうせ、戻り橋の式神が教えたのであろうよ。」と言いつつ、用意の酒を呑む・・・。

 安倍晴明が戻り橋の下に人間ではない召使いを隠していたのは有名なお話。 ま、安倍晴明の陰陽術の数々は「夢枕 獏」氏の小説の本編でお読みいただくとして、昔の京都には多くの妖物や物怪、そして強い法力を持った退魔師や陰陽師がいたと。

 前回お話した「慶俊」という僧も強い法力の持ち主で、かの珍皇寺の鐘も慶俊が唐から帰って来るまで待ってから鐘楼に掛ければ「勝手に鳴る鐘」になったはずの所を、弟子が待ちきれずに使ってしまったので、普通の鐘になったのだとか。 勝手に鳴る鐘なんて、本当に有ったら気持ち悪いでしょうけれど。

 この「戻り橋」、安倍晴明の時代には既に「一条戻り橋」と呼ばれていたようです。 一条戻り橋には他にも「鬼に出会った」だの「美しいあやかしの女に出会う」だの、色々なお話が残っています。
 何故、一条堀川にかかる橋が「戻り橋」と呼ばれるようになったのか、何故「戻り橋」には多くの伝説が残るのか。 今日の本題に(やっと)入りましょう。

 時は平安時代。 場所は一条堀川。
 今、正に堀川一条の橋を渡ろうとしているのは三善清行の棺。 三善清行は平安時代に文章博士・宮内卿・参議などに任じられた、文化・政治に通じた宰相でした。また彼は安倍晴明と同じく陰陽道を極め、五条堀川の空家に住んでいた鬼を追い出して、そこに住んでいたと言う逸話も残る人物。

 都の人々から「善宰相」と親しまれ、多くの人が惜しむ中、棺が橋を渡ろうとします。 人々は「今こそ、善宰相が自らの法力で生き返らないか」と念じた時、駆けて来た馬から飛び降り、その棺にすがり付いて泣いたのは彼の息子「浄蔵」でした。
 浄蔵は紀州熊野で修行中に父の不幸を知り、葬儀に間に合うためにひたすら駆け戻ってきた孝行息子でした。 浄蔵は涙も枯れんばかりに泣いておりましたが、急に数珠を揉んで何やら祈り始めます。

 紀州熊野と言えば、修験道の聖地ですね。彼は橋が震え、川の流れが止まるほど全身全霊、自らの法力の全てを出して祈ったのだとか。 すると、急に辺りは暗くなり、怪しい空に変じてきます。
そして・・・。
 西の空にいなづまが走り、雷鳴が轟いたかと思った瞬間、棺の上に清行が現れ、浄蔵の名を呼んだのだそうです。(本当に甦ったという脚色の物語もあります。)

 もちろん、その当時でさえ「あれは雷で、幻が見えたり幻聴が聞こえただけだよ。」と言う人もいましたが、人々は「善宰相」と「父親思いの息子」そして清行と浄蔵の法力を深く尊敬し、それ以来「堀川一条」の橋を、命が「戻る」橋だと呼ぶようになったのです。

 息子の浄蔵は、後に大修験者となり、傾きかけた八坂の塔を法力で直すなど、多くの技を示したことで有名です。 親子で京の町衆に愛された法術者と、不思議が起こる橋、戻り橋の由来のお話。。。

 京都御所からも近く、晴明神社・織物の町「西陣」にも程近い「一条戻り橋」。ついでの折にそのたもとに立ってみられてはいかがでしょう?
 もしかして、あなたも「あやかし」に出会えるかも。(・・・って、本題より脱線のほうが多いやんけ!)

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