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京都の話

京都の話 〜 京都にまつわる話を徒然に綴るコーナー 〜

Interesting story concerning Kyoto
忘れ傘

 おいでやす。
 ようこそ「京都の話」へご来場くださいました。 今日の話は「忘れ傘」と題しまして、ちょっと下フリな川柳をご紹介しましょう。

 このお話を進めるに当たって、先ず、祇園(祗園)にある「知恩院」の紹介から始めます。
 知恩院は祇園・八坂神社に程近く、八坂さんの境内を円山公園(東)に向いて抜け、左(北)へ100m程行った所にあります。

 この道順で行けば、いやでも目に飛び込んでくるのが三門。 1619年の建物で、幅27m、奥行12m、高さ24mは日本最大の木造の門。 国の重要文化財です。 三門の土台部を含めると、高さ34mあるそうですので、正に見上げる高さ。
 知恩院さんは全国の浄土宗の総本山として有名ですが、知名度も含め、何もかもがビッグサイズで有名です。

 華頂山(小さい山ですが)一帯をほとんど全部敷地とし、お城のような石垣を備え、三門・御影堂・大方丈・小方丈・唐門・経蔵・勢至堂はすべて国の重要文化財(江戸初期のモノ)。 中でも法然上人を祭る御影堂は4000人が入れる大堂。
 御影堂と大方丈・小方丈は延長500m以上の廊下で結ばれ、大方丈の庭には鎌倉時代の銘の入った灯篭、紀州徳川家寄贈の石橋が配されています。 また、方丈の襖絵は狩野派の逸品で占められるなど、格式や歴史までもがビッグ。

 格式の高さは開祖・法然上人の法会が後柏原天皇の勅命で行われた事から、今も特別に法会の事を「御忌」と呼んでいる(御忌は天皇・皇后の法事を指す言葉)ことからもうかがえます。
 このお寺は江戸時代から「幕府が二条城の代え城に想定していた」と言い伝えられているぐらいですから、本当にケタ外れの大きさ、堅牢さ、格式の高さなのでしょう。

 さらに「行く年・来る年」に何回も出演している「大鐘」は、重さ80トン、僧侶が17人がかりでつく、日本最大級の鐘です。 また「知恩院の七不思議」の一つ、「大杓子」は長さ2.5m、重さ30Kg。 「すべての人をすくう」祈りが込められているそうですが、それにしても不必要にでかい。 甲子園の応援に出てくるしゃもじ並です。

 七不思議ついでにあと6つも足早に御紹介しましょう。

 先ず「左甚五郎の忘れ傘」。 御影堂の軒先にある忘れ傘は、「完全な物は魔がさす」という言い伝えにしたがって、堂を建てた甚五郎がわざと忘れた(わざと完成させなかった)ものと言われています。

 「鴬張りの廊下」は500mの廊下を歩くと鶯の鳴くような音がする事からこう呼ばれます。 二条城の代わりに使おうと言うのですから、「忍び返し」だと考えられています。

 「三方正面真向きの猫」は杉戸の描かれた狩野信政の作品で、何処からも見ても自分を見ているように見えます。

 「抜け雀」は大方丈菊の間の襖に描かれた「雀」が抜け出して飛んでいってしまったので、そこだけ白く抜けたようになっています。 もちろん、現代の化学調査の結果は「単なるキズ」だと言う事ですが・・・。

 「白木の棺」は三門の中二階に安置されていますが、その中に納められているのは、何故か「三門を立てた五味金右衛門夫妻の像」。 何の為のモノなのでしょう?

 最後は「瓜生石」。この石には神が降りてきて、石の上に瓜が生えたのだとか。 別説によると、この石を除けるとトンネルがあり、二条城まで続いているとか(そんなアホな!)。

 ついでのついでなのですが、私には8つ目の不思議がありまして・・・。 三門から御影堂へ行く途中の坂道、「男坂」と呼ばれています。 「お寺だけに厳しい戒律があるんだな」と思いきや、隣に(遠慮がちに)「女坂」もあるんですね・・・? 某女史の陰謀を感じるのは私だけ?
 って言うか、逆に男女差別の象徴に見えるがなぁ。

 閑話休題・・・。 この「知恩院の七不思議」の「忘れ傘」、御影堂の正面右側のひさしの梁の上にのっかっています。 かの滝沢馬琴も知恩院見物の際に御覧になったようで、「知恩院の傘は今なお骨ばかりになりて、本堂の右の方の軒下のあり・・・。」と言っています。


 そんな不思議な、骨だけの傘を見た「京スズメ」達が、これを黙って見ている訳はありません。 そこで出来た小唄が、また、洒落てると言うか、何と言うか・・・。

 「小野の小町と 知恩院の傘は ささず 濡らさず 骨になる」

 良いでしょう、コレ。 小野小町は生涯男性を寄せ付けなかったと言う逸話で有名ですが、ま、彼女と知恩院の傘は「さされる(傘をさすor男性のモノをさされる)」事も無く、「濡れる(雨に濡れるorアレを濡らす)」事も無く、骨になっちまったよ〜。 と言う意味ですが・・・上手いモンです。(そーかな?)

 京都にはエッチをしない二大巨頭が居るんですが、一人はこの「小野小町」。 もう一人は生涯一度しかエッチをしなかった「弁慶」。 各々の事情は別の機会にお調べ頂くとして、京都の「口さがない」連中は、しょっちゅうこの二人をネタにして遊んでいたようです。 川柳子の方にもこんなのが・・・。

 「弁慶はせめて・・・、小町はからむたい。」

 弁慶は一回だけでも経験があるからせめても。 けど、小町は無茶苦茶だ。 と言う意味ですね。 で、江戸時代になって、庶民も川柳に親しむようになってから、京都の「ご両人」の事を聞いた江戸の庶民が詠った川柳が極めつけ。

 「弁慶も 小町も 馬鹿だなあ かかあ!」

 エロ民族「日本人」の面目躍如・・・ですかね。 「かかあ」が何と応えたかは知る由もありませんが、これを川柳にしちゃう勢い、これが流行っちゃう事情(痴情?)、さすが、ニッポンです!!

 ・・・これも文学なんですよ。(ね? ね?)

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