遊・探・楽【More Amusing Tackle】ゲーム・検索・京都・萌え?
京都の話

京都の話 〜 京都にまつわる話を徒然に綴るコーナー 〜

Interesting story concerning Kyoto
賀茂社縁起

 時は文久3年(1863)3月11日、所は京の都。 そぼ降る春雨の中、見た事もないような豪華な行列が賀茂社に向かっていた。 鳳輦(ほうれん)には孝明天皇、その供には徳川14代将軍家茂。 都の住人達には信じられないような光景だったに違いない。 これこそが200年ぶりに行われた天皇の賀茂社参拝・行幸だったのである。

 供に時の将軍徳川家茂とその後見役の徳川慶喜。 これも都人には小気味が良かったものの、信じられない光景だったであろう。 家康以来威勢を誇った徳川家の将軍が、天皇に従っていたのだから。
 しかし、京の住人を驚かせたのはこれだけではなかった。 将軍家茂の乗った馬がちょうど鴨川の河原に差し掛かろうとしたその時、一人の若者が将軍に向ってヤジを飛ばしたのである。

 「いよっ! 征夷大将軍っ!!」

 近くにいた人々は真っ青になった。 世が世なら将軍の従者に一太刀のもとに切り伏せられる事態なのだ。 しかし、将軍も従者もジロリと一瞥しただけで、そのまま通り過ぎた。睨まれた若者も何食わぬ顔で一行を見送った。

 後に彼は言う。 「なに、将軍が君臣の分を正し、主上に供奉して攘夷をすると言うから、ひとつ誉めてやっただけだ。」と。 根っからの尊王攘夷論者、生まれながらの革命児。
 彼が歴史に名を残した後に読んだ辞世の句は「おもしろき 事もなき世を おもしろく・・・。」

 そう、彼の名は・・・高杉晋作。


 おいでやす。
 ようこそ「京都の話」へご来場くださいました。 今日の話は「賀茂社縁起」と題しまして、日本有数の古社「下鴨神社」・「上賀茂神社」のお話をしようと思います。


 皆様は京都にある、この神社の名前を御存じの事と思います。 平安の、いえ、日本のパイオニアとして名を馳せた「賀茂氏」の氏神樣として、京情緒を映す川「鴨川」の名前の由来として、「世界文化遺産」登録の古社として・・・。

 いきなりややこしい話で恐縮なのですが、「下・上両社」の関係を知って頂く為に、各々の「祭神樣」のお話から始めましょう。 とりあえず、「上賀茂神社祭神の御先祖=下鴨神社の祭神」ですから、名前とは逆に下鴨さんが格上、上賀茂さんが格下なのですね。 ここ、試験に出ます。(京都検定?)

 まずは下鴨さんの御祭神の紹介から。 2人いらっしゃいます。 下鴨神社境内「西本殿」には賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)、「東本殿」には玉依姫命(たまよりひめのみこ)が祀られています。
 この「玉依姫命」は賀茂建角身命と神伊可古夜日女の間に生まれた女神とされています。

 で、この「賀茂建角身命」なのですが、スポーツの好きな方なら一度は必ずそのお姿を御覧になっているはずの神様です。 ですが、このお名前のままでは「?」ですよね。
 またの名を「天八咫烏(あまのやたがらす)」・・・如何でしょう?

 え? 日本酒の名前ですって? そうですね。 これは賀茂建角身命が神武天皇東征の際に「八咫烏」に姿を変えて、天皇軍を熊野から吉野川の下流域まで先導した時に付いた名前です。 確かに紀州の熊野〜大和の吉野あたりのお酒にこんな名前のがありましたっけ。

 皆さんが良くご存知の「八咫烏」の姿は特徴的です。 色は真っ黒です(カラスですから)。 そして、3本の足があります。 さらに! 一番右の足に「サッカーボール」を掴んでいます!! わかりました?

 そう、「日本サッカー協会」の正式なマークに採用されているんです!
 思い出して頂けましたか? サッカー日本代表のユニフォームに八咫烏=賀茂建角身命がいらっしゃるんですね。 下鴨神社にはサッカーの神様とその娘さんが祀られているのです。(ちょっと違うぞ?)

 玉依姫命は同じく京都の「貴船神社」の縁起にその伝説が残っています。
 浪花の津(大阪湾)に黄色い船に乗った女の神様が現れ、「われは玉依姫なり、この船の留まるところに社殿を建てて、そこの神様を大事にお祀りすれば国土を潤し、庶民に福運を与えん」とのお告げがあり、その船は淀川、鴨川をさかのぼって水源の地に留まられたので、そこに御社殿を建てた・・・
 これが貴船神社の縁起です。「キブネ」の名前の由来が「黄船」だとされる所以でもあります。
 貴船神社は鴨川水系の最北の神社であり、賀茂一族の勢力範囲。 そのため、この神社もしばしば賀茂神社の摂社扱いを受けてきています。

 ・・・っと、話がそれました。 この鴨川に縁が深い玉依姫命、そのお子様が上賀茂神社の御祭神になっておられます。 お名前を賀茂別雷大神(かもわけいかづちのかみ)。
 玉依姫命が鴨川で水遊びをしている時に一本の朱塗りの「矢」を見つけ、これを拾って帰った所、この矢が火雷神(ほのみかづちのかみ)に姿を変え、玉依姫命と子をなしたという伝説。 こうして生まれた子が賀茂別雷大神です。 上賀茂神社では、この神様が降臨した「神山」という京都北部の山を御神体としています。

 実は下鴨神社の正式な名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」、上賀茂神社の正式な名称は「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」と言うんですよ。


 この下鴨・上賀茂の両神社は冒頭のとおり賀茂氏の氏神として、最初は一つの神社(賀茂社)だったのですが、8世紀後半頃に二つの神社に分けられたようです。

 賀茂社には紀元前90年頃には瑞垣の修造が行われたという記録があるそうで、平安時代はおろか、大和朝廷より以前から京都に存在すると考えられています。
 現在の形式の社殿ができたのが天武天皇6年(677)、天平17年(745)には天皇の病気平癒の奉幣が行われたようです。 延暦13年(794)に桓武天皇が平安遷都のため、当神社に行幸されて以来、皇室との繋がりが強くなり、以降60回以上の行幸が記録されています。

 平安京遷都以降は皇城鎮護の神、賀茂皇大神宮と呼ばれるようになり、大同2年(807)には正一位を賜って伊勢神宮に次ぐ地位になり、弘仁元年(810)伊勢神宮と同様、齊王(さいおう:神社に奉仕する未婚の皇女)がおかれるようになったそうです。 また、これも伊勢神宮と同様「式年遷宮」も行われます。

 伊勢神宮では、約21年に一度「本殿の建て替え」が行われるのは御存じでしょう。
 これは神様のお住まいになる神殿が、常に新しく清くあるように行われる行事なのですが、同じ事が賀茂社でも行われているのです。 ただし、伊勢神宮のように全面新築ではなく、「全面改装」という形で行われます。

 現在の下鴨神社・上賀茂神社は、両方とも、本殿・権殿(国宝)が文久3年(1863)の再建。 その他の建物(殆どが重要文化財)は寛永5〜6年(1628〜1629)の建築物で、御存じの通り世界文化遺産に登録されています。 同じ歴史を歩んで来た両社、共通点がとても多いですね。 ちなみに社殿の配置は両社とも平安時代からまったく変わっていないのだとか。
 京都三大祭でお馴染みの「葵祭」も両社の共同で行われます。 賀茂社が今のように下・上に別れる前の欽明天皇5年(545)に始められたそうですから、これは「下鴨の」でも「上賀茂の」でもない、「賀茂社」のお祭りで間違いありません。 葵祭は毎年5月15日に行われます。

 葵祭は平安時代から「祭りと言えば葵祭」と言われていたようで、斎王の行列は壮麗、まさに平安の王朝絵巻を繰り広げます。現在の形になったのは和銅4年(711)、勅使が参加して王朝絵巻になったのは大同2年(807)だそうです。
 源氏物語にも登場していますよね。「六条御息所」と「葵の上」が祭り見物の為の牛車の「場所とり」で争いになり、双方の舎人が引かないまま、結局御息所の牛車が大破するんです。(見てらんない♪)

 葵祭の他に別々に行われるお祭りも各々有名です。

 下鴨神社で行われるのお祭りで有名なのは「流鏑馬(やぶさめ)神事」です。
 京都の鴨川は西から流れて来る賀茂川(加茂川)と東から流れて来る高野川が合流して一つの川「鴨川」になります。
 この二つの川の合流点にある「糺の森(ただすのもり)」、有史以前からある古代の森(なんと36000坪!)なのですが、下鴨神社の参道がこの糺の森の中央を通っています。 この参道の西側に平行して作られた馬場。 5月3日の平騎射本番には疾走する馬上から馬場横に設置された的(3ケ所)をめがけて矢を放つ、勇壮でかつ雅びな神事が行われます。

 上賀茂神社でも同じように馬を使った神事が5月5日に行われます。 こちらは「競馬」・・・ケイバではなく「くらべうま」と読むと雰囲気があるでしょう? 今年の農作物の出来を占う神事で、文字どおり「ケイバ」の勝敗で占いをします。

 右方・左方に分かれた騎手が対決するのですが、先ずは故事にならって、左がワザと勝ちます。 後はガチンコ対決です。 ただ、古来からこう言った行事は「占い」より勝負や賭けが興味深いのは今と同じ。 勝った方は大宴会で勝利を祝います。 負けた方は真っ暗・がっかりになるのですが、負けるのも神事のひとつ。 後日、貴船神社で「笞(しもと)祭」が行われます。

 負けた方は「梅の枝」をムチがわりに、勝者と審判を打ち据えながら(マネだけですよ)延々と因縁を吹っ掛けると言う、世にも笑える神事が待っているのです。 貴船神社が水の神様と縁結びの神様だけに、水に流し、仲直りさせる仕事も作らなきゃいけないんですね。

 ところで、皆様は「埒があく」と言う言葉を使われますか? 上賀茂さんの競馬の神事が終わると、馬場に張り巡らしたロープを外します。 要は祭りの後始末なのですが、実はこのロープ、「埒(らち)」と呼ばれているんです。 上賀茂さんのお祭りが終わって、埒があいたら次は葵祭の準備です。 賀茂の祭りが終わらない事には埒があかない・・・御存じでした?


 さて、随分長くなって来ました。 歴史が長いだけに、お話は尽きないのですが、今日はここ迄という事にいたしましょうか。
 最後にひとつ、京の七不思議のひとつ「下鴨神社の縁結びの御神木」の話をいたしましょう。

 この御神木は下鴨神社の楼門の前、向って左側に立っています。 形が変わっているので直ぐにわかります。 右側の木が左側の木の幹に入り込んだ形をしているのです。 この木の傍らにある「相生社」の神威によって二本の木が一本に結ばれたものだそうで、陰陽和合・縁結び・安産子育て・家内安全の御利益があるそうです。
 この形をした御神木、神がかりとは言え生き物ですから、枯れる事もあります。 現在の御神木は4代目だそうです。

 さて、ここからが七不思議。
 この御神木は、いつ・どんな形で現在の御神木が枯れてしまっても、必ず跡継ぎの御神木(すなわち、二つの木が睦まじく合体した形の木)が糺の森で見つかるのだそうです。 ですから4代もの間、同じ形の木を御神木にできたのだそうです。
 霊験あらたかな相生社と御神木、○○○○な貴方〜、一度参拝してみては如何ですか?

UP BACK HOME

Google
 
Googleで M.A.Tで M.A.T.searchで





   

遊・探・楽【More Amusing Tackle】 ゲーム/チャット/検索/京都の話/萌え?
copyright 2002-   More Amusing Tackle