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京都の話

京都の話 〜 京都にまつわる話を徒然に綴るコーナー 〜

Interesting story concerning Kyoto
清水寺

 おいでやす。
 ようこそ「京都の話」へご来場くださいました。 今日の話は「清水寺」と題しまして、京都観光の代表とも言える東山の古寺についてお話をしようと思います。

 突然ですが皆さんは「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・」と言う言葉をご存知でしょうか? 高価な買い物をした時に「清水の舞台から飛び降りたつもりで買ったんですよ。」と半ば自嘲気味に使いますね。 つまり、「かなり思い切って」と言う意味で使います。

 清水寺にお参りになった皆さんや、テレビドラマで御覧になった皆様は、清水寺の本堂にある「舞台」が相当な高さである事を御存知かと思います。 実際の「舞台」は高さ約12m、断崖からの張り出しが約8m、上から見下ろすと京都市南部が一望でき、12mよりも高く感じます。 とても飛び降りられるシロモノではありません。 桜の時期には眼下がピンク色に染まり、とても美しいのですが、それはさて置き。

 この「清水の舞台」は実際に舞楽などを奉納する舞台として使用されているそうで、年末には清水寺館長による「今年を表す一字」が書かれる舞台となることで有名です。 建築的には「懸け造り(舞台造り)」と言うそうで、139本のけやき材を貫を組んで作られており、釘を一切使わない「地獄止め」という技法で組んであるそうです。
 江戸初期再建の本堂とあわせ、国宝に指定されています。

 で・・・。この清水の舞台、「舞台から飛び降りたつもり」になる事は多いのですが、実際に飛び降りた人の話をご存知でしょうか? 物語は「宇治拾遺物語」にあり、多分に「英雄伝」くさい感じもしますが御紹介しましょう。

 検非違使(けびいし:今の警察だと思って下さい)であった「忠明」という人物、清水の境内で無頼の輩に職務質問をしていたら、突然その無頼者がキレたらしく、刀を抜いて迫ってきたと言う。 しかも、無頼者には仲間があったらしく、今まで知らぬ振りをしていた者たちまでも抜刀して迫ってくる。 「これはイカン」と逃げ出した忠明、上手く本堂に駆け上がり、舞台の上を西から東へと逃げようとした所、行く手に先回りした無頼者の仲間が待ち伏せているではないか!

 進退きわまった忠明、ままよ!と 本堂にあった板張りの衝立を両脇に抱え、まっしぐらに舞台へと突き進む。 そして・・・。
 驚く無頼者集団を尻目に、忠明はあっという間に欄干を超え、「清水の舞台から飛び降りた!!」
 結末はご想像の通り、衝立に風をはらませてふわりと崖下に降り立った忠明、一度は逃げ出したものの仲間と上手く落ち合い、無頼者を縛り上げたとさ。(ホントかよ?)


 清水寺は1994年、世界文化遺産に登録されました。 もちろん、その名に恥じぬ縁起と歴史を持ちますから、ちょっと御紹介しましょう。

 清水寺の開創は今から1200年以上前、宝亀9年(778)に遡ります。
 奈良の僧「延鎮上人」が「清泉を求めて行け」と言う夢告をうけ、音羽山に清い滝を訪ね当てたそうです。 その地には古くから草庵を結んで修行中の「行叡居士」がおられました。 延鎮上人が訪ね来られたのを知った居士は上人に霊木をお授けになったそうで、上人自らその霊木を彫造して一体の観音様を造られました。
 その観音様を居士の庵に御祭りしたのが清水寺の始まりとされています。

 さらにその2年後、初代征夷大将軍「坂上田村麻呂」が鹿を求めて音羽山に入山された折、上人に出会い、殺生の非を諭され、その高貴な教えに心打たれ、本堂を献じて本尊「十一面千手観音」を安置したと言い伝えられます。 

 清水寺の寺名は、この「清い滝の水」から来ています。
北法相宗・西国三十三観音霊場第十六番札所 音羽山 清水寺
これを覚えてれば修学旅行のヒーローかも?!


 さて、前出の清水寺ご本尊の「十一面千手観音」ですが、脇侍の「地蔵菩薩・毘沙門天」とともに33年に一度の御開帳の秘仏で、普段は見る事が出来ません。 御開帳といっても外陣・内陣・内々陣の三重構造の本堂の奥で厨子(国宝)の扉が開いているだけですので「猫でもなきゃァ見えない」が本音だそうですが、真実は如何に?

 その代わりに、その御姿を写した「お前立ち」の十一面千手観音様が厨子の前に立っておられます。 地蔵菩薩さんと毘沙門天さんも同様です。 さらに二十八部衆と風神・雷神が御仏の守護・眷属として並んでいます。

 ところで皆様は ここの十一面千手観音様が「清水型」と呼ばれ、チョット変わっているのを御存知ですか? 普通、千手観音と言えば40臂が多いのですが、こちらの観音様は42臂で、通常より多い2本の腕を頭上に組み、その掌に如来像を掲げておられます。 珍しいので、是非御覧下さい。 清水寺の公式ホームページにも「お前立ち」の観音様の御姿の写真が載っています。

 清水寺は桜の名所としてや、清水の舞台(国宝)、三重の塔としては日本最大・31mの塔(重文)などで有名ですが、他にも江戸時代の建物で、重要文化財がたくさんあります。 ざっと15棟ぐらいでしょうか。 このうち、是非行って頂きたい所が3箇所。

 先ずは「奥の院」です。 よくTV中継などで、京都市街をバックに、国宝の舞台と三重の塔の風景が映し出されるのはココからの眺めです。 奥の院は本堂と似た造りになっていて、舞台造りになっています。重要文化財です。

 次に「随求堂」。 ここは重要文化財ではないのですが、江戸中期の建物と、とある秘仏があります。 この秘仏「随求菩薩」様で、「衆生の願い・求めにすぐに随って下さり、すべてをかなえて下さる」と言う、霊験あらたかな仏様なのです。

 それから「開山堂」もお忘れなく。 音羽山元祖「行叡居士」、清水寺開山「延鎮上人」、本願主「坂上田村麻呂 夫妻」を祀ってあります。 お堂と夫妻を祀る厨子が重要文化財です。

 本堂参拝、三重の塔見物のついでに訪れてみてください。 そうそう、音羽の滝の御水を飲むのもお忘れなく! 無病息災に効果が有ります。 ただし・・・勢い良く落ちる水を小さい金柄杓でとりますので、水の一滴二滴、五滴、六滴、七滴ぐらいは覚悟が必要です。



 さてさて、折角 清水さんに御出でになって、お寺参りだけではつまらないので、近所も廻って見て下さいね。
 一般的な観光コースとしては、「五条坂バス停 → 茶碗坂 → 清水寺 → 地主神社 → 清水坂 → 三年坂 → 八坂の塔 → 二年坂 → 坂本龍馬の墓と維新の道・霊山観音・護国神社界隈 → 石塀小路 → ねねの道 → 高台寺 → 八坂神社 → 円山公園 → 知恩院 → 四条通り(祇園)食べ歩き → 切通し → 巽橋 → 御茶屋街 → 四条京阪前 (コレで、まる一日かかります)が有名観光地網羅コースです。 (歩くのは3kmぐらいかな? 寄道しながらだと、倍ほどあると思います。)

 府外からの皆さんは平気で走破(歩破?)されますが、ものぐさ京都人としては(と言うより、matの場合、自宅からの行きかえりも徒歩になりますので)全部はキツイです!
 しかし・・・よくこれだけ観光施設・散策道が集まったものですね。

 最後に、例の「清水の舞台」で「世紀のバカ」をやった御仁の話を一つ。

 藤原大納言成通・・・この人、蹴鞠の名人で・・・と言うより狂人に近く、来る日も来る日も蹴鞠を続け、蹴鞠をした日連続記録2000日、生涯のうち7000日は蹴鞠をしたと言うツワモノ。 今なら「ペレもジーコもびっくり」というぐらい、蹴鞠に命をかけていたそうです。 実際、雨の日は大極殿で、病床にあっても布団から足を出して蹴鞠、蹴れないほど弱っていても、足に鞠を当てていないと落ち着かないと言うぐらい。
 ある時など、輪になった人の肩の上を「蹴鞠しながら」巡ったと言いますから、身が軽い上に蹴鞠が上手い、一風変わった宮中のヒーローだったようです。 踏まれたほうも、「鳥が止まったかと思う程度」と感心したとか。

 この男、父の宗通と共に清水寺を参拝した時に、ふと「ある事」を思いつきます。 ある事とは・・・。
「清水の舞台の欄干の上を蹴鞠しながら歩きたい!」
 こんな所で病気を出さなくとも良さそうなものですが、日頃から軽業師まがいの芸を得意とする男、思い立ったらやらないと気がすまないらしく、ついに鞠を持って欄干の上へ・・・。 「大納言」なのに。

 自然と大観衆が集まり、皆が息を飲むなか、彼はやってしまいました。 落ちた? いや、それなら「まだ」良かったのです。
 なんと、西から東へ蹴鞠をしながら欄干の上を渡り、調子に乗って、ご丁寧にも、そのまま東から西へ。
 ※蹴鞠しながら。 大納言なのに。 父にお供して、清水寺参りの途中なのに。 本堂の舞台の欄干の上を。 父は真剣にお参りしているというのに。 御丁寧に往復で・・・(※へ戻る)。

 彼は父によって、そのまま清水寺から追い出され、一ヶ月以上も家に帰るのを禁じられたとか。
 今も昔もオタクは嫌がられる好例ですなぁ。(ゼンゼン違!)

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