見えてきた建物が、稲荷大社の入口にある楼門です。
神社の楼門としては非常に大きい部類に入りますが、京都には「日本一大きい山門(知恩院)や日本一長い木造建築(三十三間堂)などがありますから、それほど有名と言うわけではないのが京都らしいところ。(苦笑
特筆すべきは、この楼門が天正17年(1589年)豊臣秀吉の造営とされていること。
「大政所殿(秀吉の母)の病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加する」と記した願文が伝わっています。 昭和48年に楼門の解体修理が行われた際、願文の年次と同じ「天正17年」の墨書が発見され、どうやら本当らしい事が確認されました。