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京都の風景 〜 京都の写真を徒然に掲載するコーナー 〜

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ば〜ちゃる お稲荷さん♪




いよいよ長者社まで来ました。
下の地図をクリックしてみてください。 広いお稲荷さんの最も深いところに近付いているのがわかります。 ちなみにお稲荷さんの境内は約26万坪(約87万平方メートル)とされています。 甲子園球場のおよそ22倍の面積になりますね(関西人は東京ドームを基準にしません・・・悪しからず)。

ここは正式には「長者社神蹟」で、おそらく(想像ですが)ここに「長者社」があり、秦氏の祖神が祀られていたのだと思われます。 稲荷山の三つの峰と同じように、古くからの神祭りの場であったようです。

この長者社神蹟に入り、右手に御劔社があります(写真上が長者社神蹟の鳥居・その下が御劔社)。 また、神蹟の左に焼刃の水と呼ぶ井戸があります。 故事に三条小鍛冶宗近が勅命を受けて、稲荷山中でお稲荷さんの助けを得、名刀「小狐丸」を鍛えた言うのがありますが、その故事が御劔社と関係有るのかも知れません。

御劔社の奥には霊石「雷石」があります。 何故か公式なマップでも「劔石」と紹介されているんですが、この注連縄を巡らした大岩は確か「雷石」だったと思います。 (※ 劔石は御劔社の中に祀られています)

この雷石は「雷公(雷神)」を封じた場所であるとの伝説が残されています。 降雨・止雨・五穀豊穣と言えば雷公(なるかみ)や竜神が付きものですが、この雷石もお稲荷さんの古くからの信仰に縁があるものなのでしょう。

京都には大宰府に流された菅原道真公の祟りで、都に病が蔓延し、雷による火災が多発したと言う話があります。 そこで北野天満宮を祀り、菅公の怒りを鎮めたと。 その話に関係があるのか無いのかはわかりませんが、京都は昔から雷が多かったようですね。

ちなみに稲荷大社にはおもしろい記録があり、延喜8年(908)菅原道真公の政敵とみなされている藤原時平公によって、初めて三個社の御社殿が造営されたと書かれた文書があります。(天暦3年/949頃の著作『年中行事秘抄』に書かれています。)

余談ですが、「菅公の怒りを鎮めるために天神さんとして祀った」のは間違いだそうで、もともと北野には「雷公」を祀る神社があったそうです。 その場所に「雷で災いをなす」とされた菅公を祀ることによって、菅公と雷神を同化し、「天の神=天神さん」としたのが正解だそうですよ。



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